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ネイマールのwikipediaのポルトガル語を訳してまとめてみた

ネイマールのwikipediaのポルトガル語を訳してまとめてみた

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1992年2月5日にサンパウロ州のモジダスクルゼスという日系人が多く住む街に生まれる。ちなみにマルシアもここの出身である。しかし間もなくSão Vicenteへ引っ越した。

2003年11歳の時にサントスの下部組織に入団。小さな頃から様々なコーチからダイヤの原石扱いをされる。少年時代よりマスコミの注目を集め、往年の名手と供にチャリティーマッチに出場したことをきっかけにブラジル全土でその名が知られるようになる。そしてこの頃より現在サントスでともにプレーするパウロ・エンリケ・ガンソと知り合う。

14歳の時にスペインへ渡り、当時ロナウド、ジダン、ロビーニョを擁した銀河系軍団と呼ばれていたレアルマドリードを訪れる。チームのテストに合格しレアルのフロントの関心を集めるも、将来を危惧したサントスの役員がネイマールにR$100万を支払い、サントスに留まってプロデビューするように繋ぎとめた

ネイマールが家族を養える程給料をもらっていなった時はネイマール、父、母、姉でSão Vicenteの果てにある祖母の家に住んでいた。そしてネイマールの将来が約束され収入が増えてから、一家は初めてサントスのホームスタジアムであるVila Belmiroのすぐ近くにアパートを購入しのである

ネイマールの成長につれて家族の暮らしは良くなっていった。15歳の頃には月にR$10000、16歳の時にはR$25000を稼いでいた。そして17歳でトップチームに昇格してからスポンサーからのオファーが出始めた。

2011年4月にはブラジル代表でもデビューし国内のテレビの主要なイメージキャラクターとなり、R$400万でサントスの隣街のGuarujáのJardim Acapulcoという地区に豪邸を建てた。現在のネイマールの月収はR$16万であるが、サンパウロのアイドルであるロジェリオ・セニがR$30万、フラメンゴのロナウジーニョR$70万であることを考えればあまり釣り合っていないと言われている

しかし他の選手と決定的に違うのは、誰もがネイマール程スポンサー契約を結んでいないところである。それ程ネイマールというキャラクターのインパクトは強力である。スポーツメーカーの収入のみで年間R$100万と言われており、この契約は自身が30歳となる2022年まで続く。ちなみに今後タイトル獲得や代表招集があった場合、報酬は更に高騰すると契約の条項に盛り込まれている。ナイキ、レッドブルー、パナソニック、Nextel、Tennys Péなどのスポンサー契約により、将来の月収はR$50万になると言われている。

あまりの取り巻きからサントスはネイマールのイメージを守る為の部門を設立した。今日マーケティングのスペシャリストであるEduardo Musaによって管理されている。弁護士のLissandro Florêncio と契約関係と取りまとめるWagner Ribeiroに加え、ロナウドが設立した9ineというスポーツマーケティングの会社によってネイマールのあらゆる行動のプロセスが管理されている。

更にネイマールを管理している大きな存在は父のxáraことNeymar da Silva Santosである。彼は全ての収入の管理を取りまとめ息子にハメを外すことを許可していない。

ネイマールは長いこと新しい車が欲しいてダダをこねていたんだ。そこで一つ賭けを持ちかけた。達成するとは思っていなかったがね。U-20の南米選手権の決勝で2得点し得点王になったら、既に運転していたボルボ・XC60に加えポルシェ・パナメーラを与えると。ウルグアイ戦で一点目を決めた後はもう止まるように祈ってたさ。そしてあの小僧はとうとう2点目を決めて私をからかうパフォーマンスを見せたんだ



6-0でウルグアイを下したこの試合で2点目を決めたネイマールは車を運転しているようなそぶりのパフォーマンスをみせたが、このパフォーマンスの背景にはこの父との賭けがあったのだ

2010年の中頃、ネイマールのヨーロッパへの移籍の期待が大きくなった。行先はイングランドのチェルシーである可能性が非常に高いと言われていた。サントスの役員は再びネイマールを放出させない為に動くことになる。8月23日にサントスの会長であるLuis Álvaro de Oliveira Ribeiroはネイマールとネイマールの父を集めてある会議を開いた。Luis会長は部屋の電気を消すとネイマールに対し誰も座っていない椅子を指しこう言った

これはブラジルスポーツ界の英雄の席だ。アイルトン・セナの死以来席はこのように空いたままなんだ。もしネイマールがチェルシーのオファーを断りサントスに留まると言うのなら、この席に座る為の始めの一歩になるだろう



その後Luís Álvaroの携帯電話がなった。電話の相手は同じくネイマールをサントスに留める為に説得をしていたペレだった。そしてこの電話の15分間の会話の後、ペレの説得は成功することとなったのである。


2010年9月15日、アトレチコGOとの試合でネイマールはPKを獲得したが監督のDorival Júniorから他の選手に蹴らせるよう指示があったことがきっかけで大ゲンカをすることになる。試合後も収まらないネイマールはドリンクをアシスタントコーチに投げつけた。対戦相手であったアトレチコGOの監督であるRenê Simõesはその時のネイマールの様子を次のように語っている

私の持っている全ての経験の中で、今までのサッカー人生の中でこのネイマールのように行儀の悪いやつは見たことがない。彼はアートの顔、サッカーの顔であるが我々はブラジルサッカー界のモンスターを育ている



監督のDorival Júniorの方もこれが元でサントス役員から解雇を言い渡されたが、ブラジル代表監督のマノ・メネゼスはこのネイマールの振る舞いを受け入れずしばらく代表招集を見送った。


2011年5月8日、サンパウロ選手権の終盤戦でコリンチャンスとの試合の前にネイマールは17歳の子と子供ができたことを知る。4日後の5月12日に自身の公式サイトで19歳で初めて父親になることを発表。母親と子供のプライバシーを守るために母親の名前は一切公表されなかった。妊娠発覚から16日後リベルタドーレス杯の準決勝前夜に母親はお腹の子が男の子であることをネイマールに伝える

父親になると知った時は泣いたよ。最初は怖かったんだ。しかし喜びに変わった。新しい責任ができて今は楽しんでいるよ



2011年8月24日午前11時にネイマールの第一子David Luccaが誕生する。息子の誕生にも関わらずネイマールは息子の母親とは決して安定した関係を保たなかった。


ネイマールの凄さが13分でわかるビデオ↓
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[ 2012/05/19 11:40 ] ネイマール | TB(0) | CM(0)
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